キリスト教とイスラム教は共存できる

先日イスタンブールにいってきました。

日本人の友人は”え??トルコ?危ないんじゃないの??”

 といいます。私も結構びくびくしていたのですが、ヨーロッパの友人にいわせるとイスタンブールは観光地ですし、トルコはしたたかです。自分達のビジネスに影響があることは避けるし、トルコの軍隊はかなり強いということ。その強さで、あめとむちを使い分けているようです。トルコを通過してもいいが、トルコでは暴れるな、ということが暗黙の了解になっているような気さえします。

 

f:id:multilingualed:20150227102942j:plain

写真はブルーモスク。

 

 イスタンブールはアジアとヨーロッパが交わるところです。

東ローマ帝国の首都、コンスタンチノープル(現イスタンブール)の時代にはもともとキリスト教の大聖堂だったアヤソフィアは、オスマントルコの時代にはイスラム教のモスクに改修されました。しかし、天井にはキリストを挟んで左右にアラビア文字が並びます。

 

f:id:multilingualed:20150227102923j:plain

 

イスラム教とキリスト教仲良く同居できるじゃない!というわけで、本来昔の人は異教に対して恐怖を超えた部分である種の尊敬の念があった、という感じがします。

 

 それは宗教って形は変わっても信じているものが本来同じものだったからなんではないでしょうかね。。。解釈の仕方が違うというだけで・ところが現在はその解釈に焦点があてられてしまい、それが目的になっているので、誤解が生まれているような気がするんですけどね。。

 

こんなファンキーなところもある、イスタンブールの街並みです。

f:id:multilingualed:20150227103019j:plain

自分に責任がないから何もしなくてもいいの?責任があるから全てを背負わなければいけないの?

今年にはいってから世界中でテロ等、なんだかどこでも安心とは言えない状態が続いています。

 

日本でも中近東の国々のことを耳にする機会が増えたように思います。それでも、やはり距離もあるし、島国日本。正直自分には直接は関係ない、と思っている人達が大半なのではないでしょうか。

私自身は外国に住んでおり海外で移動することも多いです。日本では考えられない色々な種類のリスクは海外では覚悟していないといけません。

 

アフガニスタンやシリアからの難民の受け入れをコーディネートをしているオーストリア人の友人がいます。彼女の担当している県は住民40万人ほどの県ですが、そこでは年間400人程度の難民をうけいれるそうです。大体、大人の場合、6ヶ月くらいをめどに戦争状態がおちつくまでうけいれるということなのですが、(その後もう一度検討)彼女がいうには16、17歳の子供達も難民の中にはいて、シリアから案内役の人について歩いて逃げて来る子達もいるそう。そういう子達は身寄りのない子がほとんどで、命がけで2000kmの距離を歩いて逃げてきています。そういう子達をそのまま返すわけにはいかないので、子供達の場合は無条件でほぼそのまま長期うけいれるといいます。

 

話は、少し飛びますが、去年、乳がんになった心理カウンセラーであるドイツ人の友人がいます。

彼女は、治療をしながら、自分の人生で何か、意味のあることをしたいと思うようになりました。心理カウンセラーとして、十分、人の役に立つ仕事をしている彼女なのですが、それ以上に彼女は、戦地から逃れてくる難民の人の精神的負担を減らすために難民のためのカウンセラーをボランティアで始めました。

 

前述のオーストリア人の友人いわく、難民の人の心のケアをする人が足りていないということ。そんな時、彼女にドイツ人の友人の話をしたら、とても喜んでいました。

 

ヨーロッパは陸続きです。自分達に直接関係がないから、責任がないから、何もする必要がないとは思っていません。戦争をしている人達の責任だから、彼らが全て背負うべきという考え方ではないのです。

 

世界はつながっている、自国の人を助けるのも他国の人を助けるのもあまり違いがないという考え方を心の国境を越えて活躍している彼女達から学べます。

 

 

 

誰にでも理解できるシンプルデザイン その1

ヨーロッパにいくと色々な言語が使われていることから、誰にでもわかりやすい表示をしようとこころがけているのがデザインのいたるところで感じます。

 

f:id:multilingualed:20150102122230j:plain

 

まず、 これ。スイスで使っている高速道路のチケットなのですが、これは1年間有効で1万円程度のものですが、どれだけ走っても関係ないので、高速をよく使う人達にとっては便利なものです。これはシールになっていて、窓のところに貼っておきます。

これは特に誰かに常にコントロールされるものではないのですが、もし高速道路で警察に止められて、貼っていないと罰金を払うことになります。

 

15という数字は2015年に有効ということ、上の緑と白は高速道路を表しています。

シンプルでわかりやすいですよね!

 

 

人は縁があるところに集まってくる? その2

縁があるといえば、もう一けんのお向かいさん。

彼らのファミリーネームを見たとき、えー!!!

と思いました。それは、アメリカ人の名前ではなく、スカンジナビアの名前だったのです。それも、義理の母の実家の苗字。その苗字は夫の国ではとても珍しく、今では、義理の母の兄の一家しかなのっていないのです。

 

その名はもともとスウェーデンやノルウェーの名でうちの夫はノルウェー側なのですが、そもそも、自分がノルウェーの血が入っている人と一緒になったのも、不思議です。というのも、私が中学生の時にイギリスで出会い始めて好きになった男の子がノルウェー人で、どうやって日本にかえってきてからもコンタクトをキープできるのか真剣に悩んでいた時期があったから(笑)今のようにメールがあるわけでもなし、国際電話も簡単にかけられなかった時代。。。

 

あの頃は本当に縁がなければ、何も始まらなかったし、続いていかなかったように思います。ある意味今より、制約が多かった分、簡単だったのかな、色々なことが。。。

 

で、元に戻りますが、お向かえさんの家族、ご主人のほうのおじいちゃんとおばあちゃんともにスカンジナビアの人たちでアメリカに移民してきたということ。ご主人はアメリカ生まれのアメリカ育ちなのでルーツはあまりわかっていないようですが、どうやらうちと親戚関係にあるのは濃厚な感じ。。。

 

ここアメリカですよ?ってアメリカだからこういう出会いがあるのかな、と右斜め向かいのアジアつながり、左斜め向かいのヨーロッパつながりの人たちとの縁を感じ思うのでした。

 

人は縁があるところに集まってくる? その1

うちの斜め向かい側には台湾人の家族が住んでいます。

家族といっても、50代後半くらいの夫婦と90代のおじいちゃん。

この90代のおじいちゃんがなんと、日本語がペラペラ。読み書きばっちり。話をきくと、東大の卒業生でした。しかも昔の人の日本語なのでとても丁寧だし、こちらが恥ずかしくなるほど、ちゃんとした日本語を話すのです。おじいちゃんの奥さんはすでに他界されていますが、日本人だったそうで、なんと私の母校の先輩でした。ちなみに、私の夫も昔、東大に留学で1年ほどお世話になっていたので、夫婦ともにご縁があるということがわかりました。

 

その家族のお嫁さんは(50歳くらいのおばちゃん)、よく義理のお父さんの面倒をみています。またうちのS娘の家庭教師も紹介してくれて、その家庭教師のおかげでS娘の英語も相当上達したので大感謝です。

 

しかも、実はもう一軒のお向かいさんも縁があるのです。

やっぱり人は縁のあるところにひきつけられるのでしょうか。。。

 

正気を保つために薬物に頼る??

S娘の通う高校は全米でもかなり優秀な高校のようですが、子供達は常に成績のプレッシャーに押しつぶされそうになっているといいます。常に、自分の実力よりもちょっといいレベルのクラスをとり、そこでなるべくいい成績をとろうと、子供も親も頑張る。。。そういうプレッシャーの中で精神的にも追い詰められて特にセラピストにかかる子供達も多いとのこと。

 

そんな中で、S娘がいいます、”でもね、うちの高校はまだ自殺する子は少ないの。どうしてだと思う?”

同じ州でも他のエリアのやはりできのいい高校では自殺してしまうこが結構いるとのこと。

 

”それはね、みんなマリワナとかをやるから。学校のトイレもすごい匂いがするよ。でもマリワナはリラックス効果が高いの、だからタバコをするよりはずっといいのよ。特にナーバスな子達には効果が高いみたい。”

 

うーん。。。

でもそういう環境にあるので、さらに効果の高いものを求めて、ドラックのほうにいってしまうこもいて、親が子供のドラッグテストを病院で依頼する人も少なくないとか。。。

そういえば、14歳のM娘の学校でも最近メールがきて、薬物に関する講習会をするといってきました。M娘はそんなこといちいちいわなければ、知らないのに、といいますが、S娘いわく、しらないもなにも、簡単に手に入ってしまうんだからちゃんと知識があったほうがいいと。

やれやれ。。

 

もちろんうちの2人の娘はそんなもののお世話にならなくても健全な日々が送れている、と願っていますが。