言語の違い以上に価値感の差が出る宗教感

宗教の話は本当に難しいです。

うちの子達は日本に10年近くいましたが、幼稚園はカトリックの教会にいって、洗礼はプロテスタント。一応キリスト教徒なのに七五三で神社、お正月にも神社にいき、ブッダの本を読み、お盆行事や親戚の仏事に出て、たま〜に教会にいく、というとっても日本的な宗教感をもっています。

 

アメリカでは教会がコミュニティーになっており、毎週教会にいってそこが自分の属するコミュニティーという人たちが結構いるんですよね。

先日もM娘の友人が、”君はキリスト教徒なら、なぜ毎週教会にいかないの?ちゃんと神を信じないとだめだ、”といわれて、いい友達だけどひいてしまった、という話をしていました。

 

彼女にとっては宗教はある意味形なのでその先にある、何かを信じているだけで、十分なわけです。それはもう宗教の形という枠を超えている何かなわけで。だから、どの宗教でも実はあまり関係ないというか。。。

 

宗教ってある種の形、文化であり、他人に強要するものではないというのが、日本人が思っていることなのではないでしょうかね?だから自分たちを無宗教って思っている人たちが多いのかも。

以前に、ドイツ人の牧師さんに ”日本人って、神道が8割、仏教が7割、キリスト教が1割っていう統計見たんだけどどういう意味?” ってきかれたことがありましたが、まさに神道は宗教というより、文化、生活習慣の一部になってしまっていることの表れなのではないでしょうか。

 

さて子供達が結婚するときになって、もしくは子供を持つときにあらためてまた宗教を意識させられるときがくると思いますが、そのあたりの宗教感が違うと言語が違う以上に苦労しますよね、きっと。。。